リストマーク 根岸競馬場一等観覧席跡(2003年04月)

写真1:根岸競馬場一等観覧席正面


写真2:根岸競馬場一等観観覧席側面

 根岸競馬場一等観覧席跡は、廃墟マニアの間でも非常に有名な建築物だ。また、YMOのプロモーションビデオに使われた場所としても知られている。根岸競馬場跡は、JR京浜東北根岸線根岸駅から徒歩20分程度のところにある、根岸森林公園の中に位置している。

住所は神奈川県横浜市中区簑沢付近、Google Maps上での位置は、下記の通り。
根岸競馬場一等観覧席跡

 もともと根岸森林公園は、第二次世界大戦前までは競馬場として使用されていたところである。現在残っている一等観覧席は、昭和5年(1930年)、アメリカ人建築家J・H・モーガンにより作られたものだ。二等観覧席も一等観覧席に隣接し、最近まで建っていたそうだが、昭和63年に解体されたようである。

 一等観覧席周囲は塀に囲まれており、残念ながら施設の内部を見ることはできない。また、一等観覧席のスタンド側には米軍基地があるため、スタンド正面から見学することもできない。しかし、周囲は根岸森林公園として整備されており、また一等観覧席の正面には、歴史を記した看板も設けられ、現役当時の様子を偲ぶことができる。

 以下に、一等観覧席正面に設けられた看板の解説文を記しておく。

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 根岸森林公園は第二次世界大戦までは、競馬場として利用されていました。競馬場には馬場のほかに、一時馬見所・二等馬見所・下見所などの施設がありました。全ての施設は、アメリカ人建築家J・H・モーガン(1877〜1937)による設計でした。
 J・H・モーガンは多年にわたり、根岸競馬場の施設を設計しています。設計の過程では、設計案の変更を行っており、主な施設である一等馬見所・二等馬見所は、実際に設計された設計案のほかに別の設計案がありました。
 ここでは、図面と写真で、一等馬見所・二等場見所の設計過程及び建設された後の建物の様子、当時の競馬場の様子を紹介します。
 現存している建物は、一等馬見所で昭和5年(1930年)に建設されたものです。
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写真3.一等観覧席正面。3本の柱のような部分は、エレベーターホールであったそうだ。現在窓ガラスは全て板で塞がれているが、以前はガラス窓が割れた状態のままで残っていたようである。建物は非常に重厚なデザインで、強烈な存在感がある。


写真4.一等観覧席側面。向って左側がスタンド側である。スタンド側には米軍施設があり、正面に回って見ることはできない。


写真5.根岸森林公園の正面入り口から遠望した一等観覧席跡。取材時は丁度桜が満開の時で、桜の花の向こう側に3本の塔が突き出ており、幻想的な雰囲気であった。因みにこの写真は光学3倍ズーム機能を使って撮影したもの。約90mm程度のテレ撮影になっている。


写真6.塔の先端部分。丸い窓の周囲には、凝ったデザインが施されている。


写真7.塔部分を見上げたところ。スタンドの屋根部分までは5階、塔の先端までなら6階程度の高さがある。


写真8.塔の先端部分の正面。


写真9.建物正面部分。実際にガラス窓がはまっていた当時は、かなりの迫力があったものと思われる。


写真10.一等観覧席正面を、米軍施設側から見たところ。観覧席のスタンド側には米軍施設があるため、正面に回ることはできないが、その先は根岸森林公園となっており、米軍の施設越しに一等観覧席のスタンドを遠望することができる。あまり良くは見えないが、観覧席のスタンド部分とトラス構造の屋根を確認することができる。


写真11.現役であった頃の根岸競馬場観覧席全景。1930年代のこの写真には、一等観覧席の左側に、二等観覧席が写っている。残念ながら、二等観覧席は既に解体された後で、当時を偲ぶことはできない。


写真12.旧競馬場馬場であった、根岸森林公園広場。桜の名所のようで、満開時の迫力はかなりのものがある。多くの花見客でにぎわっていた。この桜の林の向こう側に、一等観覧席が位置しているのだが、この角度からでは埋もれてしまい、見ることができない。




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