リストマーク 九段下の廃アパート(竹平寮)(1999年12月)

九段下の廃アパート(竹平寮)外観

九段下の廃アパート(竹平寮)正面

 ここに掲載する九段下のアパートは、残念ながら既に取り壊されてしまい、現在は存在しない。ここに掲載した写真の撮影を行ったのは1999年12月のことであったが、再度訪問してみたくなり、3年後の2002年12月に訪れてみた。しかし、アパートは取り壊された後であり、跡形も無くなっていた。東京都のど真ん中にある廃墟系建造物であったが、いつのまにかひっそりと姿を消してしまった。

 このアパートを見つけたのは車で首都高速を走行している時である。東京駅の近傍を通過してちょうど神田インターを過ぎたあたりの左下に見ることができた。首都高速の高架からはアパートの屋上が良く見えるのであるが、雑草が生い茂りまるで空中庭園の様相を呈していた。壁面には蔦がからまり、人が住んでいるようにも思えない。そのあまりにも非現実的な光景に魅かれて、取材を行った。なお、正確な場所は内堀通りに面したところで、さくら銀行本店と関東信越国税局総合庁舎との間に当たり、現在は千代田区役所が建っている。


Google Map上での竹平寮が有った位置。現在は千代田区役所が建っている。

1975年に国土地理院によって撮影された空中写真では、4棟のアパートが建っているのが写っている。

同じく、1990年に国土地理院によって撮影された空中写真。なお、竹平寮が解体されたのは、2001年だった。

九段下の廃アパート(竹平寮)外観

アパート壁面にからまる蔦

 地図上にこのアパートについての記載は無いが、敷地内には3階建てのアパートが4棟建っていた。雰囲気的にはちょうど同潤会アパートに似ている。敷地内への入り口は2箇所あり、いずれも鍵はかかっていないものの扉が閉まっていた。基本的に立ち入り禁止であり、居住者以外の者が進入した場合には、直ちに警察に通報する旨の看板が入り口脇にかかっていた。一見廃墟のように見えるこのアパートではあるが、1999年当時は人が居住しており、敷地内には駐車中の車もあった。

 さて、このアパートは竹平寮と言うそうである。現地には名称を示す表示は一切無いが、ネットを検索してみると結構掲載されている。場所が場所だけに有名だったようだ。なんでも戦前に憲兵隊詰め所として建設され、戦後はGHQの日本人従業員の宿舎として利用、その後国営のアパートになったそうである。聞くところによれば、2001年に解体されたようである。


裏側から見たアパート

アパート敷地の入り口

アパート敷地内部

 アパート裏側は首都高速の高架とその下を流れる川に面しており、日当たりが悪いためか壁面に蔦は無い。外装はペンキが剥がれ落ち、手入れは全くされていないように思える。アパート入り口から観察すると、アパートの入り口は各棟の南側に並んでおり、1棟につき4箇所の入り口が設けられている。各棟の裏側にはダストシュートと思しきものがあり、地面には落ちてきたゴミを収集するためのコンクリート製の箱が配置されていた。


ダストシュートと思われるもの

アパート一階入り口付近

 敷地内も全く手入れがされておらず、そこらじゅうに雑草が生えており、荒れ果てている。昔のアパートらしく階高は低く、こじんまりとした感じを受ける。アパート内部に入ることができなかったので、間取りは不明であるが、おそらく2DK程度の広さだったろうと思われる。部屋は各棟を南北に貫くように配置されており、南側と北側にそれぞれ部屋が設けられているような構造であると思われた。


アパート屋上を見上げる




九段下の廃アパート(竹平寮)
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