港区虎ノ門四丁目。かつて港区立鞆絵小学校や虎ノ門パストラルホテルがあった場所。今は再開発を待つ更地になっている。

■鞆絵小学校跡 (2013/07/25)

 仕事で虎ノ門に行く。

 虎ノ門には仕事柄良く行くし、また10年近く前には神谷町に通勤していたこともあり、この辺りの地理には結構詳しい。虎ノ門に寄った帰りに、懐かしくなって神谷町まで歩いてみた。筆者が勤務していた頃、虎ノ門四丁目には「虎ノ門パストラルホテル」があった。1968(昭和43)年に「東京農林年金会館」として設立されたものだ。霞が関に近いこともあり、官僚や政治家が宴会などに使用したので有名だった。このホテルは、2009年9月30日に営業を終了し、土地は森トラストに売却される。

 ホテル本館は昭和レトロの雰囲気満載で、感じが良かった。神谷町に勤務していた時には、打合せ等でホテル本館1階のロビー喫茶を良く使用した。そんなこともあって、ここには思い出がある。

 さて、当時(2004年頃)、このホテルの近くに、廃校があった。廃校と言っても荒れ果てたものでは無く、学校としては使用されずに、港区の施設として利用されていた。この廃校も、2010年に解体され、今は更地になっている。ところで、この廃校は、いったい何という名前の学校だったのか、全く知らなかったし、これまで調べてみようとも思わなかった。ふと気になったので、今更ながら調査してみる。

 「古地図 with MapFan」というサイトは、WEB上で昭和30年代の東京の地図を公開しており、当時の市街地の様子を知ることができる。それによると、当時ここには「区立鞆絵小学校」というかなりの規模の小学校があったことがわかる。この小学校は、1991年に他の2校と統合され、現在の御成門小学校に吸収されている。統合後の校舎は区の施設として使用され続け、2010年に解体されたということだ。

 意外にも、この鞆絵小学校というのは、由緒正しい学校だということを知った。「西新橋通信」というサイトに依れば、「港区立鞆絵(ともえ)小学校は、日本最初の公立小学校であった」とのことなのだ。同サイトによれば、「鞆絵というのは難しい言葉だが巴と同じ意味で、「,」のような絵柄のことをいう。弓を射る時、跳ねる弦から体を保護するために着用した鞆(とも)という武具の形に由来するらしい。」とある。へぇ、そんなに歴史のある学校だったのか。最後まで残っていた校舎は、1971年建造のものだったそうだが、校舎が建っていた時に、写真に収めておけば良かったよ・・・


かつて鞆絵小学校、北芝中学校が建っていた跡。森トラストに売却されたとのことだが、再開発工事は始まっていない。

「古地図 with MapFan」のサイトに掲載されていた、昭和30年代の虎ノ門四丁目付近の地図。 かなりの規模の小学校だったようだ。

同所の2013年現在の地図。再開発が行われておらず、巨大な空白になっている。これだけの土地があれば、かなり大規模な複合商業施設が建つだろう。

【2019年の追記】
跡地には、森トラストが「東京ワールドゲート 虎ノ門トラストタワー」を建設中である。2020年3月竣工予定とのこと。


かつての鞆絵小学校の校門と思しき門。藤棚が凄いことになっている。

校門の内部。使用されなくなってから久しいので、雑草や樹木が生い茂り、廃虚と化している。なぜこの部分だけが、解体されずに残されているのか、不明。

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